【それはまた別の話 1 】植版台

私の師匠は中学を卒業してすぐの昭和33年頃、活版印刷の道を歩み始めた。
それから約50年経った今年、とうとう引退を決めた。
今日は30年連れ添ったという活版機が旅立つ日。

使えなくなった活字や込物、亜鉛凸版など、分別して処分される。
小さな印刷所とはいえ30年以上の蓄積、何トンもの廃棄物となる。
4月の終わり頃から整理や処分の準備を進めてきた。

 

今朝いつものように立ち寄ってみると 、植版台の方に手招きされた。
見るとあんなに黒くくすんだ真鍮の板が別ものみたいにぴかぴか光っている。

この植版台は実に40年もの。
植字工だった師匠にとって大事な大事な道具の一つである。
料理人にとっての包丁のようなものだろうか?

植版台は、活字や込物を並べて組み、版に仕上げる際に使う台のこと。
活字や込め物を並べていくときパチパチと音がする。
まだ若造だった師匠は、いつしか先輩から「また“ピストルの音”がする」と言われたもんだと、みるみる先輩を追い越し、組む腕を上げていった様子を自慢げに話してくれる。

師匠の話では昔、職人といえばわりあい短期間に職場(印刷所)を転々と移ることでスキルアップしていったそうだ。所変われば新たな手法を身につけ、また次、しかも賃金のより好い方へと渡っていくことがステータスだったのだ。
そのとき必ず携えていく道具がこの植版台だった。
修行時代は用意された台を使い、一人前になった頃、師匠も自前の台をあつらえることになる。
通常は鉄板を使う事が多かったなか、そこをちょっと無理してこだわって、師匠は相棒に真鍮の板を選んだ。

くすんでくるとペーパーをかけ磨く。するとピカピカつるつるになる。
40年以上もの間、それを繰り返して大事に使い続けてきた。
そして私に気持ちよく引き継ぎたいからと、磨いて待ってくれていたのだ。
それが今まさに、私に引き継がれようとしている、、、!

、、、と、思いきや。
今日は見るだけ、受け渡しはまた後日らしい。
5月から数回にわけて運び続けている活字や道具が完全に運び出され、それが終わる一番最後の最後まで、もう少し師匠のもとでお預け状態となってしまった。

まあ、こんなふうにいつも、してやられるのだけど。
無事受け渡された植版台はその後、私と共に一体どんな道を歩むのか。

それはまた、別の話。

竹村活版室